不動産ブログ

不動産ブログ

ブログ一覧

電話をかけて

 「東京はいつも工事中だね」。東京スカパラダイスオーケストラと銀杏BOYZの峯田和伸がコラボレーションしてつくられた曲『ちえのわ』の一節だ。たしか夏目漱石も小説の中で同じ趣旨のことを書いていた気がする。高円寺も阿佐谷も、最近工事が多い。古くなった一軒家やアパートなどが解体されて、新しく建売住宅やマンションが建つ。そんな光景をたくさん目にした。だから何だということでもない。ただなんとなく、東京はいつも工事中だね、という歌詞が思い出されただけだ。

 

 昔の友人に久しぶりに会った次の日に、解体されて更地になった土地を見ると、感傷的になる。きっと失われた時を感じるからだろう。不思議なことだが、更地になって、次の建物が建てられると、前にそこに何があったのか思い出せなくなる。昔仲の良かった友人と何をして楽しんでいたのか、時間の流れの中で、思い出せるものと思い出せないものに分離してゆく。思い出そのものも、時間に洗われて変化するのかもしれない。感情も流れる、感覚も変化する。留まっているものなど何一つないのかもしれない。

 

 そういえば、過去に電話をかけてねと言ってくれたあの子はどうしているだろうか?ぼくは結局電話をかけなかった気がする。いやもしかすると、この記憶そのものが時間の経過の中で、事実に反して変化し形成されたものかもしれない。本当はそんなことなどなかった。そうだとしたら、少し悲しい。

 

 

                                          森田義貴 

更新日時 : 2022年11月15日 | この記事へのリンク : 

無意味な時間

 スマートホンをいじって、見たくもないショート動画をぼおっと眺めているとき。寝転がって過去を振り返り無駄に落ち込むとき。自販機や換気扇をじっと見ているとき。コインランドリーを見つめているとき。無意味なことをしている時間が案外多い。脳を休ませているのだろうか?脳には適度なアイドリング状態が良いと聞いたことがある。考えないことは無意識下で考えているということなのだろうか?思考を切って眼だけでものを見ること。ぼおっと無意味な時間を過ごすこと。良いとか悪いとか、将来とか不安とか、希望とか社会とか、貢献とか利益とか、友達とか家族とか、孤独とか安楽とか。そういうものから離れる時間、それが無意味な時間なのかもしれない。


                                   株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年09月04日 | この記事へのリンク : 

孤独な焦燥

 焦燥はいつも孤独だ。複数の人々が連帯して焦燥に駆られている姿など見たことがない。自分だけが周りから取り残されている感覚。焦燥は孤独の中で育まれる。

 他者と自分を比較してはいけない、よく言われる言葉だ。だがそれは字面以上に極めて難しい。なぜならば、他者との比較によって自分の位置と存在を確認できるからだ。全く隔絶された自分だけの世界では、他者の全く存在しない世界では、自分自身が存在することすら疑わしい。

 バランスのとれない焦り、うまくできない無力感。これらが若さというものの特徴だとするならば、若さとは巷間いわれているように、手放しで良いことではないのかもしれない。じりじりと焼けるような気持が前進の原動力といってしまえばそれまでだが、若さに結び付いた焦燥は胸を焼く。一種の苦痛だ。

 年をとるとその苦痛だけが忘れられてしまうのかもしれない。その結果、美しいものだけが残る。思い出が美しいのはそういう理由だろう。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年08月09日 | この記事へのリンク : 

聞くライブ

 音楽フェスが開催されるそうだ。フジロック、ロック・イン・ジャパンなどなど、ファンの方々には喜ばしい限りだろう。まだまだ感染症による制約があるとはいえ、明るい話題だ。フェスと聞くと『モテキ』を思い出す。私が大学生のときに好きだった作品だ。映画、ドラマ、漫画とすべて見た。その中に野外フェスの場面があった。

 私自身はフェスに行ったことがない。音楽自体は好きで、一日何時間でも聞いていられるのだが、人混みが苦手なのだ。したがって、ライブなどにもほとんど行ったことがない。CDかアップルミュージック、レコード、映像などで一人で楽しんでいる。もしかしたら、少し変わっているのかもしれない。

 大学生のときにフェスやライブが好きな友人がいた。私も音楽が好きなこともあって、よく話したものだ。私はライブ等には行かないので、その友人から、ライブやフェスの様子を聞いていた。興奮していつもより饒舌にかつ楽しそうにしゃべる彼の姿に、臨場感を伴った情景が伝わってくる。熱狂を耳で聞くことで仕入れていたのだ。

 本当の感覚は現場にいかなければ分からないとは思う。しかし、上記のような場合は興味深く、面白いものだ。他者というフィルターを通してものを感じる(映像なんかも大きな意味での他者といえそうだ)。その方がより感覚が伝わってくる場合もある。胸の奥底を揺らす音の響きが、彼の語りを通して、私の感覚ともなったのだ。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年08月08日 | この記事へのリンク : 

いつか花になっておくれよ

 阿佐ヶ谷から高円寺に向かう高架線の下を、学生が通っていく。杉並学院の生徒だろう。ぞろぞろと列を成して歩いている。にぎやかだ。女の子たちは手に流行りの小さな扇風機を持っている。もう私も高校生あるいは中学生たちを見て、自分の学生時代のことを懐かしむようになった。自分もあんな風にして仲間たちとぞろぞろ歩いていたのかと思うと、少しだけ感傷的な気分になる。フラワーカンパニーズは『深夜高速』のなかで十代はすぐ終わると歌っていた。その通りだと何故か今になって強く思う。

 私の同級生も結婚をしたり仕事を変えたり、同じように並んで歩いていたころとは大分違ってしまった。たかだか10年と少しの間にお互いの歩く道は全く変わってしまった。どこで道が分かれたのだろうか?

 あのころ一緒に踏んだアスファルトはきっともうひび割れてしまっていることだろう。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年07月17日 | この記事へのリンク : 

猛暑と娯楽

 日本列島を連日猛暑が包んでいる。気温が30度をこえることなど当たり前で、時には40度近くにまでなることもある。汗も草も道路工事の職人も、みんな干からびたように日陰にうずくまっている。太陽が暑い、風が暑い、街が暑い、コンクリートが土が暑い。頭も赤熱してしまったようだ。熱気が皮膚から立ち上る。

 夏の娯楽といえば、なんだろうか。川遊び、海、プール、夏祭り、あるいは夜中にベランダで飲むビールだろうか。どの娯楽も涼しさと結びついている。風鈴の音と氷の塊、深夜十二時に買いに行くアイス、スーパードライの銀色の缶。だが、今年の猛暑にこのような娯楽は打ち勝つことができるのだろうか?

 外出そのものが危険とされる猛暑日だ。外に出ないで家の中でお過ごしください、この言葉はここ3年繰り返し繰り返し発せられている。エアコンの入った涼しい室内でなされる娯楽に、季節はあるのだろうか?ステイホームで季節を感じるのは難しい。したがって、時の流れを感じるのも難しい。

 酷暑、猛暑と感染症は似ている。娯楽から季節を奪うのだ。


                                 株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年07月11日 | この記事へのリンク : 

夢見る頃を過ぎても

 連休になると、阿佐ヶ谷の街には子供たちの姿や若者たち、比較的歳の若い夫婦など、平日にはあまり見かけない人々が姿を現す。毎日街を見ている私には、平時と連休との違いがよくわかる。歩く人の数も違う、年齢層も違う、街の雰囲気も違う。驚くほど、様々なところが違っている。休日の街は華やいでいて、平日の街はどこか静かだ。連休ともなると、その差は顕著だ。

 ところでどうして私はこんなに、休日と平日の差が気になるのだろう。それはもしかしたら、昔から私には休日と平日の違いがわからないからだろう。気持ちの上でも差異はない。休み=楽しい、楽、平日=苦しい、つまらない、そういう図式は私の中にはない。ただ、店での仕事があるかないか、学生時代は学校あるいは部活があるかないか、極めて実務的で平板な認識があるのみだ。

 私はつまらない人間なのかもしれない。それゆえに、夢見る年頃を過ぎてもなお、街の華やぎや明るい雰囲気に惹かれるのかもしれない。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年05月02日 | この記事へのリンク : 

退屈な休日たち

 休日は退屈だ。平日ならば仕事があるけれど、仕事の時間の分だけ空くので、手持ち無沙汰になってしまう。昔から休日の時間の使い方がわからない。小学生のころは塾や習い事、中学・高校生のころは部活、大学生のころはアルバイトとサークル、思えば毎日何かしらの活動、仕事のようなものをやってきた気がする。だからだろうか、何もない時間というものに慣れていない。

 世の中の流れは長期休暇推奨、週休3日制、休日の積極的推進となっているみたいだ。しかし、何もしないで家で一日中過ごすのは退屈に過ぎるし、どこかに出かけて遊ぼうと思えば、それ相応の金がかかる。結局、仕事くらいしかやることがない。年間、週単位、一日の時間の使い方が仕事を中心に組み立てられているので、ぽっかりと空いた空白の時間に戸惑う。長すぎる休暇は停滞を感じさせる。昨日と同じ何もない休日がこの先ずっと続いてしまったら…、そう思って不安になる。

 明日からゴールデンウィークだ。私の休みは3日間だが、今のところ何も予定がない。おそらく、平日と同じように本を読み、音楽を聴き、映画を見て過ごすだろう。2日目からはきっと退屈に違いない。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年04月28日 | この記事へのリンク : 

青春とは黒い炎

 阿佐ヶ谷駅前に書楽という書店があって、私はよく行く。先日その店の文庫本コーナーの近くで、10代のうちに(20代だったかもしれない)読みたい本という特設棚があった。その中の二つの本に目が留まった。1冊はドストエフスキー『地下室の手記』、もう1冊はボードレール『惡の華』。両方とも新潮文庫から出版されているものだ。この二つの本は私自身、19歳の時と20歳の時にそれぞれ読んだ。当時の私は衝撃を受けた。『地下室の手記』を読んで、人間というのはこんなにも煮詰まれるものなのかと思い、『惡の華』を読んでその象徴的で過剰な表現にやられた。

 29歳の今から当時を振り返ってみると、平気で過剰で、やりすぎで、煮詰まっていた。そういう自分が確かに存在した。そういう自分だったからこそ、この二つの本に引き付けられたのかもしれない。

 私は若すぎる日々(青春と呼ぶことにしよう)とは、黒い炎だと思う。世界中の薔薇を集めて、その薔薇の山に火をつける。その時に燃え上がる黒い炎だ。やがて薔薇は灰になる。そしてその灰の中から新しい薔薇が生まれる。



                                                   森田義貴

更新日時 : 2022年04月18日 | この記事へのリンク : 

休日はどこにも行かない

 私の休日は週1日である。水曜日だ。土日祝日も基本的にない。週6日きっちりと仕事だ。休みが1日だと気が付いたことがある。遠くに行かないのだ。電車に乗って小旅行とか、温泉とか、横浜中華街だとか、自分の家から距離のあるところへはまずもって行かない。疲れるからだ。1日大変な思いをして遠出をすると、精神と肉体に疲労がたまってしまって、次の日の仕事に支障がでる。だから休日は遠出をしない。

 休日は専らタブレットで映画を見ているか、自宅か図書館で本を読んでいるか、近所をあてもなく歩き回るかのどれかだ。休日のほとんどの時間を一人で過ごす。意識して行動を変えようと思っても、どうしてもこうなってしまうのだ。

 休日の自分の行動が習慣なのか、趣味なのか、あるいはその両方なのか、それはよくわからない。別に幸福も不幸も不満も感じていない。ただいつの間にか、自然に、一人になってしまう。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年03月27日 | この記事へのリンク : 




ブログページブログページRSS配信ボタン
カレンダー
ブログカテゴリー ※最新情報をブログでチェックできます。