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退屈な休日たち

 休日は退屈だ。平日ならば仕事があるけれど、仕事の時間の分だけ空くので、手持ち無沙汰になってしまう。昔から休日の時間の使い方がわからない。小学生のころは塾や習い事、中学・高校生のころは部活、大学生のころはアルバイトとサークル、思えば毎日何かしらの活動、仕事のようなものをやってきた気がする。だからだろうか、何もない時間というものに慣れていない。

 世の中の流れは長期休暇推奨、週休3日制、休日の積極的推進となっているみたいだ。しかし、何もしないで家で一日中過ごすのは退屈に過ぎるし、どこかに出かけて遊ぼうと思えば、それ相応の金がかかる。結局、仕事くらいしかやることがない。年間、週単位、一日の時間の使い方が仕事を中心に組み立てられているので、ぽっかりと空いた空白の時間に戸惑う。長すぎる休暇は停滞を感じさせる。昨日と同じ何もない休日がこの先ずっと続いてしまったら…、そう思って不安になる。

 明日からゴールデンウィークだ。私の休みは3日間だが、今のところ何も予定がない。おそらく、平日と同じように本を読み、音楽を聴き、映画を見て過ごすだろう。2日目からはきっと退屈に違いない。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年04月28日 | この記事へのリンク : 

青春とは黒い炎

 阿佐ヶ谷駅前に書楽という書店があって、私はよく行く。先日その店の文庫本コーナーの近くで、10代のうちに(20代だったかもしれない)読みたい本という特設棚があった。その中の二つの本に目が留まった。1冊はドストエフスキー『地下室の手記』、もう1冊はボードレール『惡の華』。両方とも新潮文庫から出版されているものだ。この二つの本は私自身、19歳の時と20歳の時にそれぞれ読んだ。当時の私は衝撃を受けた。『地下室の手記』を読んで、人間というのはこんなにも煮詰まれるものなのかと思い、『惡の華』を読んでその象徴的で過剰な表現にやられた。

 29歳の今から当時を振り返ってみると、平気で過剰で、やりすぎで、煮詰まっていた。そういう自分が確かに存在した。そういう自分だったからこそ、この二つの本に引き付けられたのかもしれない。

 私は若すぎる日々(青春と呼ぶことにしよう)とは、黒い炎だと思う。世界中の薔薇を集めて、その薔薇の山に火をつける。その時に燃え上がる黒い炎だ。やがて薔薇は灰になる。そしてその灰の中から新しい薔薇が生まれる。



                                                   森田義貴

更新日時 : 2022年04月18日 | この記事へのリンク : 

休日はどこにも行かない

 私の休日は週1日である。水曜日だ。土日祝日も基本的にない。週6日きっちりと仕事だ。休みが1日だと気が付いたことがある。遠くに行かないのだ。電車に乗って小旅行とか、温泉とか、横浜中華街だとか、自分の家から距離のあるところへはまずもって行かない。疲れるからだ。1日大変な思いをして遠出をすると、精神と肉体に疲労がたまってしまって、次の日の仕事に支障がでる。だから休日は遠出をしない。

 休日は専らタブレットで映画を見ているか、自宅か図書館で本を読んでいるか、近所をあてもなく歩き回るかのどれかだ。休日のほとんどの時間を一人で過ごす。意識して行動を変えようと思っても、どうしてもこうなってしまうのだ。

 休日の自分の行動が習慣なのか、趣味なのか、あるいはその両方なのか、それはよくわからない。別に幸福も不幸も不満も感じていない。ただいつの間にか、自然に、一人になってしまう。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年03月27日 | この記事へのリンク : 

残響

 先日、東京でも雪が降った。夜になるにつれて雪は積り、気温が下がっていった。身を切るような冷気が、頬や露出した手にあたり、吸い込む空気は冷たくて、肺の奥までスッとした。雪の舞う街灯の明かりがぼくは好きだ。白い雪と白い光、背景は夜の黒。傘をさして寒いのに、いつまでもいつまでも眺めていられる。

 あくる日、雪はもう溶けていた。気温が上がって太陽が照っている。軒先や屋根から、雪解け水がぽたぽたと落ちていく。その音が、昨日の夜降った雪の残響のように聞こえた。雪は降り積もるとき音はしないけれど、溶けるときには音がする。いや、違う。きっと降り積もる時にも音はしているのだ。あまりにも微かでぼくの耳には聞こえないだけで。

 夜通しかけて小さな音がたまってゆく。そして次の日、溶けたその雪の中から音が飛び出す。その音たちは、昨日の雪の微かな叫びの集積だ。



                             
株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年02月12日 | この記事へのリンク : 

祭りのない街

 新型コロナウイルスの感染があって、阿佐ヶ谷でも主要な祭りがいくつか開催されなくなった。七夕祭り、ジャズフェスティバル、神社等での祭り…。ジャズフェスティバルなどは一部室内で開催されて、インターネット配信されたらしいが、商店街や駅前広場を使った野外の催しはなくなってしまった。

 ぼくは祭りが苦手だ。それは、人混みが苦手だからだ。小さいころからあまり祭りには行かなかった。小学生のころ夏祭りで、太鼓の発表をしたことはあるが、それ以外は特に祭りに行った記憶がない。だから、夏祭りの思い出なんかも特にない。思い出せるのは、少女漫画で読んだよくある夏祭りのシーンだけだ。

 それでもなんとなく街に祭りがないのは寂しい。あの街に纏う何とも言えない喧噪の感覚とざわめき。行きかう人々の浮かれたような顔、浴衣、法被、子供たち。なくなってみると、どこか恋しいし懐かしい。祭りはきっと記憶なのだ。街にしみ込んだ目には見えない人々の記憶。それが今、祭りのなくなった街で地面からしみだしている。そんな気がする。

 きっとこんな気持ちも祭りがまた始まったら、忘れてしまう。そうやって、街にしみ込む祭りの記憶は重ねられてゆく。それで良い。そういうものだから。また祭りのはじまる街を夢見て、今は記憶の中の祭りを思う。



株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年02月05日 | この記事へのリンク : 




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