不動産ブログ

不動産ブログ

ブログ一覧

街を歩けば

 街を歩けば人々の姿が見られる。街を歩けば人声が聞こえる。街を歩けば風の音が、車の音が、エアコンの室外機の音が聞こえる。遊びに行く若者たち、子供のいる家族連、ワイシャツを着たサラリーマン、飲食店の制服を着た人、街を歩けばいろいろな人を見かける。自分の今おかれた立場と境遇、過去の自分の選択、もしそれらが違っていたら、自分自身はどうなっていたのだろうか?街ですれ違う人々を眺めながら、そんなことを考える。不満のある部分、満足しているところ、自分の中にはそんなようなものが複雑に絡まりあっていて存在していて、この暑さの中で考え事をしているときまって空を見上げたくなる。なりたい自分となりたくない自分、やりたいこととやりたかったこと、未来、過去、後悔。ベンチに座って、鉄柵にもたれながら、すれ違う若いカップルを見て嫉妬する。黒い気持ちが心に萌したら、好きな音楽を胸の奥でかき鳴らす。

 

                                           森田義貴

更新日時 : 2023年07月16日 | この記事へのリンク : 

趣味

 ぼくは映画が好きだ。といっても、映画館にはあまり行かない。もっぱら配信で、一人で勝手に好きなものを見ているだけだ。

 

 最近は推し活なるものが流行っているそうだ。テレビやインターネット、新聞、雑誌などで推し活の特集をよく見る。

 

 趣味には他者と共有して楽しむものと、自分一人で楽しむものとがあると思う。ぼくはどちらも好きだが、どちらかというと、一人で楽しんでいる方が多いと思う。他者と共有されない自分だけの時間を、一日の内に少しで良いから取り入れると、なんだか落ち着く。それだけで気持ちが満たされる感覚を覚える。

 

                                          森田義貴

更新日時 : 2023年07月07日 | この記事へのリンク : 

代り映えのしない毎日

 代り映えのしない毎日である。ここ最近暑くなってきた、梅雨入り、戦争、仕事上のトラブル、夜の路上で見る自分の影、読書と映画鑑賞、音楽、買物、使用済みの空き缶、ごみ捨て…。友人の結婚報告がまたあった。ぼくは中高男子校出身だ。人と人とが結び合うこと、そのことがかつて女のいない世界で暮らしていた、青春時代の友達の間で男女の共同生活というかたちで行われる。夕暮れに包まれた高校の校舎を思い出した。全くもって同質化された男だけの世界。抜け出したくて堪らなかったはずなのに、今は何故か懐かしい。その友人との日々が思い出される。

 

 阿佐ヶ谷では今年は七夕祭りが再開されるそうだ。おそらくぼくは行かないだろう。地域行事の振興は大切なことだ。マクロの視点では、社会科学や経済学の視点では、そんなことはわかりきったことだ。だけれども、たぶんぼくは行かない。

 

 最近しきりに政治経済について学んでいる。E・H カーの『危機の二十年』なんかを読んでいる。ユーピアニズムは禁物だ。リアリズムに立たなければならない。しかし、個人が日常生活の上でリアリズムに立ったとき、それはとても酷薄だ。代り映えのしない日常を、どう過ごせばよいのだろうか?じりじりと月日だけが過ぎてゆく。ぼくの友人も一人また一人と、新しい生活に入っていっている。そしてその当然の帰結として、疎遠になってゆく。過去には戻れない。でも過ぎ去った日々が恋しい。新しい思い出の、新しい生活のない人間は、いったいこれからどうやって生きていけばよいのだろうか?

 

 人間の人生の諸段階は横並びではない。それぞれにそれぞれの時があり、運がある。それはわかっている、しかし拭えない感情が胸の奥で湧き上がる。真っ青な夏空の下で、ぼくは今日も一人だ。より一層一人だ。

 

 

                                                   森田義貴

更新日時 : 2023年06月18日 | この記事へのリンク : 

夜の街

新型コロナウイルスの感染状況がやっと落ち着いてきた。東京の街も以前の賑わいを取り戻しつつある。 先日私は浅草橋へと出かけて行った。友人と食事をするためだ。浅草橋駅前の飲食店はどこも混んでいた。並んでいる店もたくさんある。懐かしさを感じた。2020年以前の街は、少なくとも私の記憶している限りでは、このような状況だった。 マスクをしていない人も増えている。 友人と食事を終えて23時過ぎの電車に乗った。総武線と中央線の車内も混んでいる。 扉のすぐ近くに陣取った私の後ろで、銀行の新入社員らしい背の高い若い女性が、同期であろう女性と話していた。曰く、会社は女をなめている、少し強くものを言うとこわいって言われるし、給料も低いし、はあ…、ため息。そして彼女たちはネイルの話をしはじめた。 春である。4月の宵である。アルコールの入った頭で自分の新入社員のころのことを思い出した。思わず顔が赤くなってしまった。                                                                 森田義貴

更新日時 : 2023年04月15日 | この記事へのリンク : 

最近の所感

 少しずつではあるが、ワンルーム、1Kの賃貸が動き出しているように感じる。コロナ禍真っ只中であった過去3年間と比べると、内見の数も増えた。良い傾向だと思う。ワールドカップも盛り上がりをみせており、コロナウイルスによる危機から次の局面へ、世界は日本は展開するのかもしれない。

 

 先日、米倉誠一郎著『松下幸之助』(ミネルヴァ書房、2018年)という本を読んだ。松下幸之助の名前や、松下電器のことはある程度知ってはいたが、詳細はわかっていなかった。コンパクトで良い評伝であった。この本の中で松下幸之助が、当時(1970年代)のアメリカ並みに社員の賃金を引き上げようと努力し、そして実際にそれを成し遂げたことが書かれてあった。今の日本社会、そして自分自身の店に対しても通底する話だ。まずは自社にて経営の合理化と生産性向上をはかり、賃金を上げねばならないと深く決意した。

 

 評伝、ノンフィクションの魅力に最近になって気が付いた。自分の考えていることを、昔の偉大な人々も考えていたということがわかるので、勇気が沸く。あとは地道に一歩一歩実行あるのみだ。

 

 

                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年12月12日 | この記事へのリンク : 

電話をかけて

 「東京はいつも工事中だね」。東京スカパラダイスオーケストラと銀杏BOYZの峯田和伸がコラボレーションしてつくられた曲『ちえのわ』の一節だ。たしか夏目漱石も小説の中で同じ趣旨のことを書いていた気がする。高円寺も阿佐谷も、最近工事が多い。古くなった一軒家やアパートなどが解体されて、新しく建売住宅やマンションが建つ。そんな光景をたくさん目にした。だから何だということでもない。ただなんとなく、東京はいつも工事中だね、という歌詞が思い出されただけだ。

 

 昔の友人に久しぶりに会った次の日に、解体されて更地になった土地を見ると、感傷的になる。きっと失われた時を感じるからだろう。不思議なことだが、更地になって、次の建物が建てられると、前にそこに何があったのか思い出せなくなる。昔仲の良かった友人と何をして楽しんでいたのか、時間の流れの中で、思い出せるものと思い出せないものに分離してゆく。思い出そのものも、時間に洗われて変化するのかもしれない。感情も流れる、感覚も変化する。留まっているものなど何一つないのかもしれない。

 

 そういえば、過去に電話をかけてねと言ってくれたあの子はどうしているだろうか?ぼくは結局電話をかけなかった気がする。いやもしかすると、この記憶そのものが時間の経過の中で、事実に反して変化し形成されたものかもしれない。本当はそんなことなどなかった。そうだとしたら、少し悲しい。

 

 

                                          森田義貴 

更新日時 : 2022年11月15日 | この記事へのリンク : 

無意味な時間

 スマートホンをいじって、見たくもないショート動画をぼおっと眺めているとき。寝転がって過去を振り返り無駄に落ち込むとき。自販機や換気扇をじっと見ているとき。コインランドリーを見つめているとき。無意味なことをしている時間が案外多い。脳を休ませているのだろうか?脳には適度なアイドリング状態が良いと聞いたことがある。考えないことは無意識下で考えているということなのだろうか?思考を切って眼だけでものを見ること。ぼおっと無意味な時間を過ごすこと。良いとか悪いとか、将来とか不安とか、希望とか社会とか、貢献とか利益とか、友達とか家族とか、孤独とか安楽とか。そういうものから離れる時間、それが無意味な時間なのかもしれない。


                                   株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年09月04日 | この記事へのリンク : 

孤独な焦燥

 焦燥はいつも孤独だ。複数の人々が連帯して焦燥に駆られている姿など見たことがない。自分だけが周りから取り残されている感覚。焦燥は孤独の中で育まれる。

 他者と自分を比較してはいけない、よく言われる言葉だ。だがそれは字面以上に極めて難しい。なぜならば、他者との比較によって自分の位置と存在を確認できるからだ。全く隔絶された自分だけの世界では、他者の全く存在しない世界では、自分自身が存在することすら疑わしい。

 バランスのとれない焦り、うまくできない無力感。これらが若さというものの特徴だとするならば、若さとは巷間いわれているように、手放しで良いことではないのかもしれない。じりじりと焼けるような気持が前進の原動力といってしまえばそれまでだが、若さに結び付いた焦燥は胸を焼く。一種の苦痛だ。

 年をとるとその苦痛だけが忘れられてしまうのかもしれない。その結果、美しいものだけが残る。思い出が美しいのはそういう理由だろう。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年08月09日 | この記事へのリンク : 

聞くライブ

 音楽フェスが開催されるそうだ。フジロック、ロック・イン・ジャパンなどなど、ファンの方々には喜ばしい限りだろう。まだまだ感染症による制約があるとはいえ、明るい話題だ。フェスと聞くと『モテキ』を思い出す。私が大学生のときに好きだった作品だ。映画、ドラマ、漫画とすべて見た。その中に野外フェスの場面があった。

 私自身はフェスに行ったことがない。音楽自体は好きで、一日何時間でも聞いていられるのだが、人混みが苦手なのだ。したがって、ライブなどにもほとんど行ったことがない。CDかアップルミュージック、レコード、映像などで一人で楽しんでいる。もしかしたら、少し変わっているのかもしれない。

 大学生のときにフェスやライブが好きな友人がいた。私も音楽が好きなこともあって、よく話したものだ。私はライブ等には行かないので、その友人から、ライブやフェスの様子を聞いていた。興奮していつもより饒舌にかつ楽しそうにしゃべる彼の姿に、臨場感を伴った情景が伝わってくる。熱狂を耳で聞くことで仕入れていたのだ。

 本当の感覚は現場にいかなければ分からないとは思う。しかし、上記のような場合は興味深く、面白いものだ。他者というフィルターを通してものを感じる(映像なんかも大きな意味での他者といえそうだ)。その方がより感覚が伝わってくる場合もある。胸の奥底を揺らす音の響きが、彼の語りを通して、私の感覚ともなったのだ。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年08月08日 | この記事へのリンク : 

いつか花になっておくれよ

 阿佐ヶ谷から高円寺に向かう高架線の下を、学生が通っていく。杉並学院の生徒だろう。ぞろぞろと列を成して歩いている。にぎやかだ。女の子たちは手に流行りの小さな扇風機を持っている。もう私も高校生あるいは中学生たちを見て、自分の学生時代のことを懐かしむようになった。自分もあんな風にして仲間たちとぞろぞろ歩いていたのかと思うと、少しだけ感傷的な気分になる。フラワーカンパニーズは『深夜高速』のなかで十代はすぐ終わると歌っていた。その通りだと何故か今になって強く思う。

 私の同級生も結婚をしたり仕事を変えたり、同じように並んで歩いていたころとは大分違ってしまった。たかだか10年と少しの間にお互いの歩く道は全く変わってしまった。どこで道が分かれたのだろうか?

 あのころ一緒に踏んだアスファルトはきっともうひび割れてしまっていることだろう。


                                  株式会社菊商事 森田義貴

更新日時 : 2022年07月17日 | この記事へのリンク : 




ブログページブログページRSS配信ボタン
カレンダー
ブログカテゴリー ※最新情報をブログでチェックできます。